「ギグ・エコノミー」の蔓延と憂鬱

今回は記事を読んだ感想を。

日本では言葉として浸透してなさそうな雰囲気がある「ギグ・エコノミー」ですが、クラウドソーシング界隈はたぶんこの状態なんじゃないかな、と思って記事を読みました。 gigazine.net

「ワンチャン」な取引=ワンナイトラブ

働き方改革」という言葉を中心に考えてみると、インターネットで簡単に受発注ができるクラウドソーシングサービスに集まる人たちのほとんどが、「顧客」「委託業者」という継続を前提とした関係性ではなく、なんなら「一晩だけの情事」的なドライな関係性を求めているような気がしてなりません。

発注側は少しでも安く発注しようとしているし、受注側もとにかく契約実績を増やしたい(増やすことでクラウドソーシングプラットフォーム内の評価を上げることができるから)、という安易な需要と供給関係がワンナイトラブを彷彿とさせるなぁ、というのはソープオペラの見過ぎかもしれないですが。

ただ、自宅にいながら自分が何者かを知られることなく他者の求める仕事をして報酬を得る、ということを繰り返しているということは、

  • 「自分を秘匿する」ことで孤立化してしまう
    • 日本においてはネットのコミュニティは匿名であることが好ましいとされていますが、自分のパーソナリティーを秘匿することにもつながるので結局自分とは違うペルソナを作ることになり、「本当の自分」は見てもらえないという孤独感を感じる
  • 成果が出せないことで周囲との格差を感じてしまう
    • メディアなどでは「副業で年収〇〇万アップ!」と喧伝をし、実際の事例を紹介しているが、それがあくまでも一握りの成功者の事例であり、全く同じことをしても同じ結果が得られるわけではない、という現実を直視できず、自分が底辺の人間であると錯覚することで格差を感じる
  • 格差・孤立化がさらにコミュニケーションを妨げる
    • 劣等感が周囲との接触をさせないようにしてしまう。自分なんてうまくいってない、と思うことによって「うまくいっていない自分」を他人に見せるのが恥ずかしいと思い、既存のコミュニティからも自分から離れていってしまい、更に自分自身がうまくいっていないと感じて疎外される感を感じる、というループ。

という状態が起こっているのではないかと考えられます。当該記事の翻案ではありますが、当たらずとも遠からじ、と言うところではないでしょうか。

しがらみからの解放=混沌(カオス)=自由?

もう一つ、これはまず記事の引用からですが、

「ギグ・エコノミーの労働者は職場のしがらみから解き放たれた自由な存在である」という一般的な見方

という一文をどこかで聞いたことがあるような気がしてなりません。これは、「働き方改革」の文脈にある、

働き方改革」は、働く方々が、個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を、自分で「選択」できるようにするための改革です。

※上記引用元:厚生労働省働き方改革特設サイト(https://www.mhlw.go.jp/hatarakikata/)

という内容と一致しているように思えてならないのですが。

もとの(GIGAZINEの)記事では、先ほどの引用個所の続きとして、

「ギグ・エコノミーの労働者は職場のしがらみから解き放たれた自由な存在である」という一般的な見方は、ギグ・エコノミーの労働者の実態を反映していないといえます。

とあり、「働き方改革」も同様に、制度としてはしがらみのない多様な働き方を選ぶことが、必ずしも自由で柔軟な働き方となるとは限らないのではないでしょうか。

私自身はできるだけ「旧来の商習慣」に倣った形でお仕事をさせていただくようにしていますが、その中でクラウドソーシングは仕事を紹介してくれるエージェントと同等(エージェントさんはある程度のマッチングや交渉事までしてくれます。単価設定の自由度と支払いサイトの速さはクラウドソーシングに分がありますが、それ以外はエージェントさんの方が楽です)と思って利用をしています。

何をもって「旧来の商習慣」と言っているかと言うと、案件ベースではなく、顧客ベースでの管理をしている点です。ここで言う「顧客」は言うまでもなく案件を出してくるクライアントであり、クラウドソーシングプラットフォームではありません*1

もっとも、だから成功している、ということでもありませんし、何ならメシを食うにも困ってしまう貧乏フリーランサーではあります。ただ、私自身は「ギグ・エコノミー」的な仕事の取り方をしていないので、この記事で対象になっている「労働者」とはちょっと違っていますが。

*1:この認識が意外とずれているのかもな、とは正直思います。 クラウドソーシングプラットフォームを顧客/一次クライアントとして考えるからそこから仕事を受けている=実際の仕事発注者の顔が見えない、ということなんじゃないのかな、とはずいぶん前から仮定しているんですが、そのエビデンスがなかなか見えなくて主張に至らないんですよね...。