小ネタ:三方良し外伝

三方良しネタで先週ブログ記事を書いたのだが、敢えてその記事の中で触れていなかった2つの事柄について思うことがあるので書いておく。

https://racchie.hatenablog.com/entry/2023/03/29/183000racchie.hatenablog.com

マーケティングと三方良し

前述記事の中で少し書いているが、

ここで「マーケティング」の目線を入れてしまうと少し話が複雑になる

として、できるだけマーケティング目線で売り手・買い手・世間にとってのメリットを書かなかったのは、三方良しの考え方自体があくまでも経営目線であり、どうやって経営していくかについての話に終始したかったので、どうやって売るか、というマーケティング目線はできるだけ排除して書いたつもりである。

では、マーケティングを絡めるとどうなるか、という話だが、あくまでもモノを売るための「ツール」がマーケティングであり、経営方針とは無関係であってほしい、とは思っている。

ただ、お客さまに対して提供する商品がどれだけ「素晴らしいのか」という訴求はしないといけないし、それこそ三方良しである、という訴求ができればこそ売れる、とも思っている。つまり、マーケティングは三方良しを(提供しているならば、だが)プレゼンするための手法として使えばいい、と思っている。

そして、悪用厳禁、とも思っている。必要のないモノを売ることも、無駄に価値を高めるような言い方をすることもすべきではなく、モノ(商品)の価値がきちんと伝えることこそがマーケティングの手法を使ったプレゼンであろう。

マーケティング(手法)そのものを売る場合もそうだ。

これは私自身がマーケティング自体を「ツール」だと思っていることにも由来するが、例えば「SEO」を売るときに、SEOをすれば売れる、と言う謳い文句を使うのは何なら無責任にも程がある、と私は思っていて、SEOなる行為をすることで何ができ、何が得られるのか、そして必要なことがあるということも説明せずにただ「売れる」とは暴論である、と言いたい*1

SEO」と言う言葉を「テレビCM」に置き換えればいい。テレビCMを出せば売れる、と言う謳い文句で果たしてお客さまは「その通りだ」と言ってくれるだろうか。おそらく反論されるだろうが、『SEOは確固たる実績がある。テレビCMはオワコンだから売れるわけがない』と言う感じだろう。テレビCMだって実績はあるし、SEOがオワコンだとは思わないが*2、誤った解釈のもとにSEOを実施しても意味がないし、そういう人たちが(検索エンジンの運営会社にとって)SEOに毒を盛っているとも思う。

意味のないSEOはまさに、「動機善なりや」である。

それはともかく、マーケティングの施策を売るのは、あくまでもマーケティングの「目的」に沿って売るのであって、施策そのものを高価で売りたいとかいう話であってはいけないのだ。確かにマーケティングの施策はそれなりの企画力があって、かなりの労力を要するものなので「安いモノではない」のは事実だが、売り手にとっての目的が「施策を売ること」になってしまっているように思えてならない。

言い方は悪いが、「あんたマーケティングツール売ってんのに売り方(マーケティング)知ってる?」と言いたい。すべてのマーケティングツールを売っている人たちがそうではないのだが、結構多い*3

マーケティングこそ「動機善なりや、私心なかりしか」で施策を作らないといけないし、そのためにツールを使わないと意味がないし、施策を見る消費者も善ではない動機や私心をサラッと見抜いてしまうし、嘘をついてまで売るのはもはや犯罪だ*4

転売ヤーと三方良し

これは前回の三方良し本編では一切触れなかった話だが、果たして転売ヤーは三方良しなのか、という、若干与太話になりそうな視点である。

そもそも転売ヤーと呼ばれる人たちに三方良しの視点は存在していないと私は思っている。もちろん、彼らの主張の中に(理論破綻してはいるが)「消費者に欲しいモノを確実に届けることができている」というものがあり、それだけを鵜呑みにすれば、買い手は欲しいモノが手に入るし、経済も回る、そして転売ヤー自身も利益が出る、という三方良しに一見は見えるのだが。

まず、「経済が回る」という主張は、転売ヤーの存在如何に関わらず「回る」のだ*5。人は欲しいモノ・必要なモノがあれば買うし、売り手は欲しいモノ・必要なモノを作って売っている。結果として商取引が成立している(経済が回る)のであって、その仕組みの中にさらに中間業者(である転売ヤー)が入ってきたところで関係がないのである。

次に、「消費者に届ける」というデリバリーに関しての主張だが、これは生活必需品に限って言えば論外であって、売れるモノとして転売ヤーが買い占めることで品薄状態を起こし、本来正規価格で購入しようとしている消費者にデリバリーができなくなってしまっているという点で矛盾していることになる。また、もともと品薄な人気商品(ゲーム機とか)も、品薄であるからと言って市場に出回る数が0になることはあり得ないわけで、買い占めによって市場から一時的に商品が消えてしまうのはデリバリーを止めてしまっていることに他ならないのだ。

三方良しの考え方をもう一度書く。

「売り手(自分)良し、買い手(相手)良し、世間(社会)良し」

だが、言葉の順番はともかく、どれが一番最初で重要なのか、という優先順位は存在せず、どれも平等に重要である。

そう。転売ヤーの視点で欠けているのは、三方良しの考え方を仮にしていたとしても(おそらくしていないと思うが)順位付けをしているのが問題なのだ。具体的に言えば、まず「自分良し」が最優先になっている。つまり、自分の利益が最初、と言うことになる。

ビジネスという観点で言えば、利益が出ないことにはビジネスは成立しない。だから利益を出さなければいけない。それは大前提なのだが、そこに他方、三方良しで言えば買い手・世間の視点は存在していない。だから三方良しであれ、と説くわけだし、三方良しで利益が上げられることこそが良い、とされるわけだ。

やはり前回の投稿で触れている7つの習慣におけるWin-Winの関係性において、もう一つ紹介をしていない考え方(パラダイム)がある。

  • Win(自分だけが勝ち/相手はどうでもいい)

というヤツだ。転売ヤーに限らず、こういうビジネスをしている人たちは多いし、もっと言うと最近流行りの詐欺行為もこの考え方であり、考え方としては「一番ダメなパターン」ではあるのだが、結局この「自分だけ勝ち抜ける(売り抜ける)」という考え方が多くの批判を浴びている、と言うことに気付いていない*6

もし、自分の利益だけでなく買い手のことも世間も良しとしたいのであれば、わざわざ既存のデリバリーシステムを堰き止めてまでも(世間に対して悪)付加価値を付けて消費者に売る(買い手に対して悪)と言う行為はするべきではない、と言うかする意味がない。

転売ヤーは儲かる、というのはおそらく事実なのだろう。在庫をダブつかせない限り儲けられるはずだ。普通の小売業と同じ考え方だから、仕入れたものがよどみなく消費者に届けられれば儲けは出るはずだ。

また稲盛氏の言葉に戻る。動機善なりや、という点において、自分が儲けたい、という動機は、儲けることで可処分所得を増やしたい、という理由があれば「善」であるようにも感じられる。程度にもよるが*7、結局「儲ける」ことで何をしたいのか、と言う点で若干グレーではあるが、それなりの答えを出すことはできるのかもしれない。

ただどうしても、私心なかりしか、という問いかけについては明確な答えが出せないのではないだろうか。本当にそれは世のため人のためになってるのか。自分が儲けることが第一義で、そのあとのお題目(欲しいモノを消費者に届けているとか)は本当に後付けではないものなのか。そもそも自分が儲けることを第一義としている時点で「私心」はバリバリ持っているわけである。

転売ヤーであったり似たようなことを生業としている人たちは私自身好きではないし、ビジネス面においても信用ができない。それが副業であっても、である。それで何とか糊口をしのいでいる、というのはおセンチな話ではあるが、同情はしないし出来ない。それは多分私自身が稲盛氏の言葉を胸に仕事をし、何とか糊口をしのいでいるからこそ思うのかもしれない。

*1:SEOに限った話ではないが

*2:若干「流行らない」手法だとは思うが

*3:事実、とあるマーケティングツールを売っている会社に別のツールを紹介したところ、「うちはそういうの導入してなくて、かなりざっくりとやってるんですよね」と言われたこともある

*4:消費者法に引っかかりかねないし、詐欺ですらある

*5:むしろいない方がより回る気もするが

*6:または考えないようにしているのか

*7:遊興費に使いたいとか言い出すと微妙だが