「東京脱出」の心理

2020年4月7日、日本ではまれな(日本初の)「緊急事態宣言」が発令されようとしているタイミングでこのメモを書き始めています。皆さんのところに届くころにはすでに国が緊急事態宣言を発令、都道府県や各自治体によって緊急事態下に置かれたための措置がいろいろと講じられているはずです*1

今回の「緊急事態宣言」は特定の(感染者が多く、今後も感染者が爆発的に増えると考えられている)都府県に対して発令されていて、その中で一番感染者の数も今後の増え方も多いとされている東京都に私は住んでいるわけですが、SNSなどでは緊急事態宣言が出る前に(出てからでもいいんでしょうができるだけその前に)東京から脱出し、緊急事態宣言の対象区域ではないところに『疎開』しようという動きがあると聞きます。

疎開でも脱出でもいいんですが、そうすることに対する善悪については今回触れません。立場によっては「疎開/脱出」を容認したくなるケースだってあるでしょうし*2、私自身は今のところ「動きを制限する」方向では動いているものの、どうしても出かけなければいけない用事は春から初夏にかけて目白押しなのでどうしようかと考えていたりしますが、少なくとも「疎開/脱出」をするための行動はとらない方向でいます。

今回考えてみたいのは「疎開/脱出」をしたいと考える心理面についてです。ビジネスにつながる部分でもあるので少々お付き合いをいただければ。

「東京脱出」の心理

前置きが長くなりましたが、なぜ脱出したい、と思うのでしょう。

コロナウィルスにかかりたくないから?

その地域に住んでいるといろいろと制限を受けるから?

たぶんそのどちらもですし、いずれでもないんではないのかな、と。もっといい言葉が浮かばないだけなのではないのか、と思うんです。頭に思い浮かんでいる言葉はあまりにも抽象的過ぎて説得力に大変かける言葉だから。

不安だから。

これが大きな、なんなら唯一の理由ではないでしょうか。いま置かれている状況は盤石の状態ではないわけです。いつなん時、隣の家からコロナウィルス感染者が発生するとも限らない状況と考えてしまい、市区町村内で感染者が出たと聞けば、「あ、あそこの地区で出たならうちもあと3日くらいかなぁ」とか思ってしまうわけです*3。頭の中ではどこかの映画みたいに地図が赤い面で徐々に上塗りされて行き、最終的には自分の住んでいるエリアどころか世界中が真っ赤に染まってしまう、という状態を想像してしまうでしょう。

そうなる前に、そうならないうちに自分だけでも、または自分が域外にいて自分の大切な人が域内にいるならその人が、早く域外に脱出すればいいよね、と考えてしまうわけです。不安だから。

もちろん、不安を抱えながらも、今回のケースで言えば自分が動かないという選択をすることで自分だけではなく他人への感染も防ぐことができるから、と域内にとどまるという選択は、大変勇気のいる選択であろうと思います。でも、もちろんそれが自分自身への感染のリスクを減らしているのか、と言えばNOで、脱出するよりもリスクが高いか、と言うと微妙なところではありますが(ちなみに2020年4月6日時点でいまだに感染が報告されていない県が3つありますが、そことて『聖域』というわけではないですからね)、今の状況だけを俯瞰してみればどこにリスクがあるかは全くわからないわけです*4

不安を持ち、不安に打ち勝つこと

いずれにしても、不安を抱えながらの生活を強いられることになるはずなのですが、疎開/脱出をするにしてもとどまるにしても、「不安を持つこと」「不安に打ち勝つこと」のどちらも必要なのではないかな、と思います。他の方はこういう言い方をされていました。『正しく不安になること』。 誰もがいま、不安な気持ちになっていますが、それは疑心暗鬼からくる不安ではないでしょうか。上記で挙げている例はまさにそれで、

隣の家からコロナウィルス感染者が発生するとも限らない状況と考えてしまい

市区町村内で感染者が出たと聞けば、「あ、あそこの地区で出たならうちもあと3日くらいかなぁ」とか思ってしまう

というのは実際には「起こり得る」話ではあるものの、必ず発生するわけではありません。

どこかの映画みたいに地図が赤い面で徐々に上塗りされて行き

というのも、自分の住んでいる地域が徐々に浸食・汚染されていく、というイメージではあるものの、感染のメカニズム自体がそういう仕組みではない(水が染み込んでいくように全体に浸透していくという感染経路ではない)ですからそのようにはならないわけです。

むしろ、人から人への直接感染が強く疑われている以上、他者との接触の方が感染リスクとしては高いし、そのための自衛方法を考えた方が正しく不安を理解し、不安を解消するための方法なのではないかと思います。

不安とビジネス

フリーランスをやっていると、仕事がいつかはなくなってしまうのではないか、という不安にずっと苛まれながら生きていくことになるんだな、と私自身は感じています。他の方もそうでしょう?とは言いませんが、思ったこともないまま今まで生きていたとしたら、今回のコロナ禍では随分と冷や汗をかいたのではなかろうかと思います。冷や汗で済めばいいですが、実際に雇止めや契約のキャンセルなどを経験された方もおられるはずです*5

前項の話をそのまま繰り返すことになりそうですが、不安は不安として持っていなければならないでしょう。今ある契約が今後も安泰だとは限らないわけですし、相手があることであれば相手側が突然『飛ぶ』ことだって起こりうるわけですから、そういう不安を感じつつ、今できている仕事に感謝しながら仕事をこなすしかないんだろうと思います。だからと言って、余計な不安を抱える必要もないわけです。在宅で仕事をしていて感染リスクを少しでも抑えるために感染者のいないエリアに引っ越しをするとか、少しでも他人との接触リスクを減らすために新規契約を獲得するための行動の一切を控えるとか。

ビジネス、つまりは経済活動ですし、自分でお金を稼がなければいけないという立場ですのでどこかで割り切ってやるべきことはきちんとしないと、とは思いますが、同時に自分の身は自分で守るようにもしないといけないな、と思いながら毎日を過ごしています。

不安からの脱却

楽観的になろうぜ、と発言力がそれほど強くない私が声高に言っても意味がないのですが、それでも悲観的になり情報に流されてしまうくらいならもっと楽観的に今の状況を見てもいいんじゃないのかな、とは思います。

不安に思う人たちは、この災禍が「いつ終わるのか」ばかりを追いかけています。そして、終わりが見えないから不安になり、終わりを探し続けて不安をさらに増幅させています。短期的、というよりは短絡的に、終わりがいつであり、新しく次の何か(災禍の次は必ず「いい事」)が始まるのがいつか、ということをずっと追いかけていても、そもそも何を「終わり」とするのかもわからないのに*6、まだ終わらないのかと気をもむのは生産的ではないなぁ、と感じてしまいます。

もちろん、ビジネスであったり普段の生活であったりにいろんな制限が加えられ、不安をあおるような事象も日々発生しているわけですが、いちいち反応していても時間ばかりが無為に過ぎていくだけです。いつかは終わるのだから、その時までなんとか生き延びるしかないし、モノがないならないで何とかすればいいんです。マスク不足が続いていますが、だったら手作りマスクでもいいし、マスク代わりにスカーフを巻くのもありでしょう。ない事に不安を感じるのではなく、ないなら代用する、というくらいの気持ちで過ごせばいいんじゃないでしょうか。逆に、代用が利くというのが利点になるのであれば、ビジネスにしてもそこが商機になりうるはずなんですが。

コロナ禍で倒産したという企業も出てきたと聞きます。が、本当にコロナウィルスだけが原因なのでしょうか。コロナウィルスの影響で、小売業であれば消費者の購入が控えられることにより売り上げが急激に落ち込んでいるというのはわかりますが、それは特定の企業だけではないはずなんです。倒産した理由は、その前に資金が尽きかけていたところに客足の減少で売上減少に歯止めがかからなくなったからであって、この数か月の売上減少でいきなり資金ショートを起こしたわけではないんです。

逆に、自社でできることをやってみて売上につなげることをやっている会社だってあるわけです。マスクの話で言えば、異業種のマスク製造のニュースもあちこちで聞く話ですが、そういう考え方だってできるわけです。フリーランスで契約が切られて自宅で待機しなくてはならなくなり、仕事の受注の見込みがないのであれば、もし多少の資金的余裕があればですが(仕入れのために資金が必要ですので)、それこそマスクを作ってネットなどで売るというのも(もちろんそれができる技術力は必要ですが)一つの手段だと思います。売れるかどうかは別にして、ですが。

「ピンチはチャンス」「窮すれば通ず」とはよく言ったものです。が、似たような言葉で『窮すれば鈍す』という言葉もあります。困ったときに、活路を見出すのか(通ず)それとも日々の生活に追われて何もできないのか(鈍す)、どちらになるのか、これは自分自身の気持ち次第です。人は自分自身の行動を決める自由を持っています。困ったときに「今は何もせず耐え忍ぶ」のか、「商機とみて攻めに出る」のかは自由なんです。私自身の例で言えば、週末の外出自粛はビジネス的には商機になりえるわけです。普段の週末は仕事をしないようにしています(家族サービスを優先するため)が、家族全体が外出しないのであれば特段の家族サービスは必要なくなり、仕事の時間として使えるようになるわけです。

そして時は過ぎ...

ここからは、投稿日時をあえて6月に入ってからにしてみようと設定を済ませた状態で2020年5月21日に追記をしています。この日、関西都市圏でも緊急事態宣言の解除があると報じられ、もしそのとおりに話が進めば、翌日の5/22時点では1都1道3県(東京・北海道・神奈川・埼玉・千葉)のみが緊急事態宣言対象地域になっているはずです*7

先が見通せない状況で、現在は東京都民である私はまだしばらく東京からの脱出は見込めそうにありません。また、一部の仕事が先方の都合で縮小・遅延が発生していたりしている中、すでに宣言解除された地域での活動再開によって慌ただしく動き出している案件もあったりします。仕事という点では大変うれしいですし、いずれかの案件が動いていてくれればこちらとしても仕事ができるので助かるのですが、私自身はしばらく都内に拘束される予定ですので訪問を予定していたクライアントさまへのご挨拶がいつになるのか、首を長くして待っている状態だったりします。

*1:筆者注:2020/5/4加筆時点では緊急事態宣言の期間延長という話が出ています。

*2:例えば妊婦さんなんかは感染を防ぎたいから東京を出たいと考えるだろうし、一人息子/娘が都会に出ていれば帰ってきてほしいと思うのは親心でしょう。そう「思う」ことは自由だし、そういう考えに対して悪だのなんだのと言うのは無粋と言うものでしょう。

*3:実際のところそこまでシビアな状態ではないわけですが、報道されている数字をなんとなく見ているとそういう錯覚に陥ってしまいがちですよね。

*4:感染経路がわからないというケースが増えているということがリスクの所在を分からなくしている大きな原因です。

*5:私自身契約キャンセルが発生していますし、これからの開発案件についても多少スケジュールが遅れることも予想されています。

*6:同じコロナウィルスによる世界的な流行であったSARSやMERSは「終息」はしていますが、引き起こしたウィルスはいなくなったわけではなく、まだ感染する人がいたりするわけです。

*7:正直なところ、いつ解除されるのかについてはあまり興味がなくて、解除後も多少自粛期間をおいてから活動再開かなぁ、というイメージです。