小ネタ:コロナとルーティンワークとパラダイムシフト

前説:ランチをどこで食おうか

こんな(コロナ禍の)時期なのに、ここ数日は客先常駐の案件でずっと通勤をしていたのですが、ゴールデンウイーク期間に入り、祝日は常駐先が休みなので、久しぶりに家に引きこもって残務処理をしていたのですが、昼メシを食いたいなぁ、と思って外出要件を済ませるついでに、よく行く店に立ち寄ることにしました。

もともとその店は店内だけではなくテイクアウトサービスも行っていたのですが、食事に時間がかかるような店でもないので普段は店に入って注文をし、出てきたらさっとかっ込んで帰る、というスタイルで済ませていたのですが、『こんな時期だしランチ時だし店が混んでたらテイクアウトもありかなぁ...』と思いながら店にたどり着きました。

とは言ったもののさすがに外出自粛をしている人が多いからか、お店に入っても先客は一人だけ、カウンターでスマホをいじりながら食事をしていました。その姿を見た瞬間、店内飲食をせずに持ち帰りをしようと決意し、その店での初めてのテイクアウトをしました。そして商品が出来上がるのを待っている間に、また一人客が来たのですが、券売機の前でずっと悩んでいて、結果メインの食事と何やらサイドメニューを追加して店内飲食をすることが分かった時点で、今日はテイクアウトで正解、と確信をしました。

彼らにとって、カウンターでの食事はもはやルーティンワークの一部なんではないか、と思うんです。朝起きて、午前中何か仕事をして、昼は何件かある選択肢の中から1軒を選び、そこでいつもと同じスタイルで注文をし*1、食事をしながらスマホを見て小一時間過ごし、午後になったらまた仕事をして、というルーティンワーク。

テイクアウトも可能なのに(一応配達も可能とは聞いていますが、確か私の嫌いなウーバーイーツだった気が...)、コロナ禍で外出自粛やら3密やらと騒がれるなか、短時間でさっと食えるから、という理由だけで店内飲食をするのも思考停止状態だなぁ、と私自身は考えたわけです。テイクアウト自体は私にとって一つ大きなデメリットがあって*2、直前までは店内飲食を想定していましたが、まさかのどんでん返しです。もちろん、テイクアウトにしたからと言って何かが変わるわけではありません。店内での食事に比べれば汁物が減った代わりにおまけの一品が付いてきて値段も変わらず、少し持ち帰るまでの間に食事が冷めてしまうくらいしか気になりません。本当にゴミが増えただけ。

本題:ルーティーン化とパラダイムシフト

ただ、自宅で食事をしながら思ったのは、こういう食い方もアリだな、ということ。ゴミの問題があるので積極的には利用しないと思いますが、たまには外食を中食に切り替えて、テイクアウトの頻度を少し増やしてもいいかな、とは思いました。

そして同時に思ったことが、普段ルーティンワーク的に日常を過ごすことに対する恐怖というか、危険さというか、ちょっと言葉にしにくいですが、ルーティーン化(≠習慣化)による思考停止状態への不安とでも言いましょうか、そんな感覚でした。

最近受けた客先常駐の仕事にしても、都内のオフィスにある時間に集合し、依頼された仕事をこなして終業時間になったら帰る、というルーティンワークをこなしていて、その中でも、例えば朝先方の最寄り駅に着いたらコンビニで朝メシとその日1日に飲む飲み物の調達をするとか、帰りに乗る電車も決めていて、それまでに間が空くことがあったりとか、細かいルーティーンができてしまうわけです。

余計なことを考えずに済むので、私自身もできる限り普段の生活のルーティーン化は進めているのですが、事態が急変したり、この先どうなっていくのかわからないような時に、いつもと同じ行為(ルーティーン)をすることは、果たして生き延びるための足かせになったりはしないだろうか、と感じてしまいます。もちろん昼メシごときで生死を分けるとは思いませんが。

大げさに言えば、世の中の流れに合わせて自分を変えていくことが生き残るための方法であり、それを進化と呼ぶのだと思っていますが、それとは別次元の話として、自分を世の中の流れに順応させるために手続きとして行うルーティンワークがある、とも考えています*3

が、結局人間は怠惰な生き物であり、一度ルーティーン化した行動パターンを変えることを嫌うもので、だからこそ「昼メシをいつもの店で食いながらスマホ動画をのんびりと見よう」という、感染のリスクが高い行為を何の気なしにやってしまっているのではないでしょうか。

コロナ禍に始まった話ではなく、世の中では日々いろんなことが起きていて、自分の立っている場所も足元が覚束なくなることも多々あるわけです。フリーランスという立場で言えば、景気悪化は即仕事にあぶれることを意味しますし、だからこそ不況に強い仕事もやりつつ景気に左右されるような仕事も受けたりして、バランスを取っています。経験や知見があるからこそ、これからどうすればいいのかを自分で考えることができるようにもなりましたし、それが仕事にもつながりますし、もちろん自分自身の生き方にも反映されています。

私のフリーランスになった経緯についてはどこかで書いていた気もしますが、結局自分の足元が覚束ないからこそ、そのバランスを取るためにフリーランスの道に足を踏み入れていますし、逆にフリーランス個人事業主で、という立場はいろんな制限や制約と引き換えではあるけれど「自由」ですのでやりたいように周囲の環境に合わせていくことができているのかな、と思ったりしています。

後説:行動変容と新しい生活様式

この投稿の下書きを書いてから数日後の話。「政府専門家会議」とやらでコロナウィルス感染者数が減少に転じている地域(?下記新聞記事では『新規感染者数が限定的となった地域』となっていますが)では「新しい生活様式」の実践提案があったとか。

mainichi.jp

ネットでみる限り、「ライフスタイル(≒行動様式)まで指示するなよ」「そんなの自由だ」「今までできなかったことをやる」と、批判的な意見の方が多いようにも見受けられるのですが、私自身、この提言にある実践例の半分程度は「?」と思っているものの*4、大きく(マクロで)言えば、生活の様式は今まで通りにはなりえないだろうし、今強制的に行っている行動の変容がそのまま今後も続いていくのだろう、と思っていたりはします。

例えば、テレワークや(大学などの)教育機関が提供するオンライン学習がこの数か月のみの動きとなってしまうのか、言い換えれば夏から秋にかけてテレワークが浸透せずまた毎日朝満員電車に乗って出勤し、夜の満員電車に乗って帰るか駅前の混雑した居酒屋で飲んだくれて帰るという日常に戻るのか、という点について、私はそうならないと思っていますし、もちろんすべてがすべてそうなっていく、ということでもないのですが*5、ほどほどに変わっていくのではないのかな、と思っています。今は居酒屋などでテイクアウトサービスを行っていますがコレは今後も続いていく気もしていますし(屋外でのアクティビティ推奨という名目もありますので)、テレワークや時差出勤、リモート会議(含:会議のためだけの出張を控える行動)なども企業としては推奨されていくのではないかと思っています。

*1:件の券売機で悩んでいた彼はメインかサイドのどちらかは決まっていて、決まっていない方をどれにするか悩んでいたのではないかな、とかいう妄想はしていますが。

*2:容器がゴミになるので捨てるゴミが増えるというのがデメリットです。

*3:今の時期で言うなら、帰宅後の手洗いやうがいなどはルーティン化してよい行為でしょう。

*4:例えば、「買い物:電子決済の利用」、「娯楽・スポーツ等:筋トレやヨガは自宅で動画を活用」、「公共交通機関の利用:混んでいる時間帯は避けて」、「食事:料理に集中、おしゃべりは控えめに」、「働き方の新しいスタイル:名刺交換はオンライン」など。具体的過ぎることに関してはなんか力学が関係している気がしてならないですよね。私の普段からの感覚、RFPの詳細が細かすぎれば過ぎるほど何か外部からの力が感じられるんですよ。

*5:冠婚葬祭についても3密を避けるような行動様式が提案されていますが、ハレの日に集まって食事をするな、というのはあまり定着しない気はします。100年単位で見たらそうでもないとは思いますが...。