正義の苦言

ネタ切れです。お盆だからということで許してくださいな。という事で今日はサラッと思ったことを。

「苦言を呈する」という言葉があります。苦言の反対語は「甘言」であり、言われている方にとっては嫌な気持ちになるが忠告として受け取れる言葉のことを苦言と言うらしいです*1

仕事の相談に対して、初心者が「どうすればいいのか」と疑問を持つことに対して、『そのような認識を持っているような者は仕事などできないから辞めてしまえ』というような苦言を呈することを、自分が正しいことを言っているのだからこれは正義の苦言である、ということを仰っている方を目にしたのですが、

「正義」ねぇ、と正直思ってしまいました。

そんな中、こんな記事を目にしました。 news.livedoor.com

「正しいことをしている」のです。でも問題なんです。

なぜ他人が悩まされているのか。

記事を読む人はこの事象を客観的に分析することができるはずです。「行き過ぎている」「正義を振りかざすモンスタージジイ」みたいに。

しかし、先の記事にもあるように、(深層)心理的には「支配欲求」があって、相手が弱いとわかっているからマウントをとってボコる、というのが実際のところのようで。だから、件の相談に対する回答も「正義」になるし、「苦言(という名の罵詈雑言)」だから問題はない、という理屈なのだと考えられます。

でも、果たして本当にそうなのか...。

相手がどう思っているのかを考えることもできないで、自分の意見を通そうとするという人が増えたようには思います。自分が正しいと認識をすればもちろん、「正しい意見を述べている」という後ろ盾もあって自分の意見を通そうとします。

でも、それが「独善的」であるとすれば?

度を過ぎているかもしれない、と思うことも必要なのだと感じます。例えば、ある考え方は間違っている、ということは客観的にも言えるのであれば、それは指摘をしていいはずです。だからと言ってそういう考え方をすることが社会不適合であるかどうか、ということまでに言及をするのは「度が過ぎてい」ます。自分がそう思い、他の人もそう思ったとしても(客観的な意見としてではなくあくまでも主観レベルで)。

できるだけ自分もそうならないように心がけたい、と思っていますが、なかなか実践できないのが心苦しいところです。

*1:ちなみに甘言は言われている方がいい気分になる、口先だけの言葉、という意味になるようだ。